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篠原 儀治 五代目
シノハラ ヨシハル
YOSHIHARU SHINOHARA |
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江戸風鈴『篠原風鈴本舗』 |
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生年月日:1924年11月14日 |
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出身地:東京都 |
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血液型:B |
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趣味・特技:物書き |
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愛読書・本:上原 猛の本 |
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好きな映画:ターザン |
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好きな言葉・座右の銘:好奇心 |
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好きな音楽・アーティスト:ベートーベン、モーツァルト |
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好きな場所・観光地:万座 |
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■この道を志したきっかけや経緯をお聞かせください。 |
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私は風鈴屋のせがれとして生まれ、10人兄弟の長男という事もあり、5代目として篠原風鈴本舗を継ぐことになった訳です。
昭和12年、当時14歳の時にここを継ぐという事になって、夜は夜学に通い、昼は風鈴の仕事を手伝うという日々だった。
正直、当時はいろいろな事をやりたかったんで風鈴職人なんてやりたくなかったよ。(笑)
その後、戦争に行って帰って来てからは物資もなかなか手に入りにくく、風鈴をあまり作れず、ほとんどコップや瓶を作って売ってました。これがまた飛ぶように売れたんだ。(笑)
昭和23年には、また風鈴を主体で仕事をはじめるわけだが、私もそれなりに職人らしくなってからは風鈴についての意見や考え方などの違いで、今は亡き父親(4代目)とも、かなりぶつかりあいましたよ。
例えば、父親は風鈴の音色はひとつだ。というのに対して、私はいろいろな音色があってもいいんじゃないかとかね。(笑) |
■開業にあたり江戸川区を選んだ理由をお聞かせください。 |
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父親(4代目)の頃、大正12年8月30日に篠原風鈴本舗は浅草(鶯谷)にあり、その後、向島へと引越しをしたのだが、引越した直後の大正12年9月1日に関東大震災があり、浅草(鶯谷)はかなりの被害にあったんだ。
引越し先の向島なんて当時何もないんで、たいした被害にも遭わなかったらしいんだ。なんというか運命的なもんなのかね。(笑)
昭和30年、私の代に江戸川区に引越して来た理由は当時、当時江戸川区の農家がほうずきの産地だったんで、どうせなら、ほうずきの産地とくっついちまえ的な理由ですよ。
その頃は問屋がなくなってきたり、いろいろな理由があって、ほうずき産地の江戸川区が都合がよかったんです。今では江戸川区はほうずきの産地じゃないけどね。
昔、浅草のほうずき市の時期なんて10万個の風鈴が売れてたんだよ。そんな景気のいい時代もあったりしたけど、全然売れない時代なんてのは、いろいろ試行錯誤したな。 |
■どのようにして何十年も江戸風鈴を守って来たかをお聞かせください? |
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いろいろやって来たよ。風鈴がなかなか売れない時代などは特にね。
世界にこの江戸風鈴を売ってやろうと思って、50代の時にはアメリカやヨーロッパなどに江戸風鈴を売込みに行ったね。外国の人達には風鈴の文化なんていうものはないから、風鈴の意味だ形だ音色だなんて、わかりゃしないんだ。(笑)
そこでいろいろ考えて、アメリカでは『エド・ウインド・ベル』。ヨーロッパでは『エド・ウインド・チャイムス』なんて名前を付けて売ったんだ。もちろんそれだけでは売れるわけないよ。
風鈴に絵を描く絵具の基本が赤・青・緑・黄・白と5色あるんだけど、それぞれの色に意味を付けて売ったんだ。
赤は太陽、魔よけで守ってくれる。青は海や空、自然のエネルギーをもらえる。緑は草や木、健康で病気にならない。黄色は黄金、お金が貯まりお金持ちになる。白は無垢、欲望や執着などの煩悩がなくなる。なんて具合で外国の人達に売って歩いたよ。(笑)
そんなことやってるうちに外国のデパートさん達の所にもうちの風鈴を置いてもらえるようになったんだ。 |
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■やりがいを感じる時と、若い時のお話をもう少しお聞かせください。 |
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やりがいを感じる時?やっぱり大きな契約を結んで大量の風鈴が売れたときなんかは嬉しいな。それに、何でもチャレンジしてる時などだ。
若い時ね。そうだなあ。風鈴を売る為に何でもやってた時に、世田谷の縁日で風鈴を売ろうと思ったんだ。
縁日などで何かをやるには、今でいう的屋にならなきゃいけない。的屋になるってことは組織に入ったり、しょば代を払ったりしなきゃいけないだろ。
私はそういうのは絶対に嫌だったもんで、当時その場を仕切っている大親分に何とか話をつけに行ったんだよ。
親分には『組織に入らない代わりに運送の仕事を手伝え。そしたら、ここで風鈴を売らしてやる。』てな具合で、運送を手伝うという条件で世田谷の縁日などでたくさんの風鈴を売ったこともあったな。(笑) |
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■最後にお客様へのメッセージと今後の展望をよろしくお願いします。 |
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お客様へのメッセージじゃないが、若い人達には、たくさん好奇心を持って、いろんな事にチャレンジしてほしいよ。
特に男はいろいろ経験して最終的には王を取らなきゃな。(笑)
今後の展望はやっぱり風鈴を通して日本の文化を広げていきたいな。特に夏の涼しい風に風鈴ってのは風情があっていいでしょ。
おかげ様で平成16年10月1日、石原都知事より名誉都民の称号をいただきました。江戸風鈴を約60年以上作り続けてきたご褒美と思っています。
これもひとえに江戸風鈴を愛し、応援をして頂いた皆様のおかげです。
※上記記事は2008.3に取材したものです。
情報時間の経過による変化などがございます事をご了承ください。 |
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